佐藤 大史『Alaska Travel Diary』後編

2020.11.11 Update

 

前編を読む

 

 何かを考えたり考えなかったりしながら、24時前、広い場所を見つけてテントを設営することにした。途中からスノーシューを履いていたので、テントがちょうど張れるよう2mちょっとの四方をスノーシューで踏み固める。ふと思い出し、オーロラジャケットを着た。寝るまでの間に、着ているインナーを自分の体温で乾かしたかったのだ。テントを設営し終え、ブーツを脱いでなかに入った。50mmの厚さのあるエアマットを敷いたおかげで、雪面からの冷気は全く感じない。余分に燃料を持ってきてあるので、ストーブ代わりにバーナーに火をつけた。火を見ると落ち着く。考えてみるとそんな生き物はヒトくらいだろうかなどと思いつつ、テント内が温まり気持ちがひと段落したところで、フライパンに雪を入れて溶かし、お湯を作った。

 

まずはポットに満タンにして、さて夜ご飯でも食べようかと食料コンテナを覗く。結局、いつも通りラーメンにした。私はアラスカでは“茹でる”しか調理法を持たないことにしているので、ラーメンやパスタはアラスカでの定番だ。フリーズドライの野菜をたっぷり入れて食べると、案外リッチなラーメンになる。リッチなディナーの湯気でテントの中もメガネも曇ったが、カメラだけは防水バッグに入れた。ちなみに、翌日の撮影中に日がさすと気温差でカメラ内部が曇ってしまうことがあるので、カメラは防水バッグに入れたまま寝袋に入れて一緒に眠る。インナーもバッチリ乾いたし、外を覗けばしっかり曇っているのでオーロラ撮影のスイッチは入れなくて済むな、と安心して眠った。オーロラが出ると、夜通しの撮影になってしまう。腕時計にはマイナス20度(摂氏)と出ていた。

 

 

 

 

 翌朝、テントから顔を出して外を覗いてみると、かなり分厚い雲に覆われていてどんより暗い。曇りにレベルがあるならこれは最高レベル、いや漢字にしたら最厚か、ウマイ、いや大してウマかないか、などと一人でブツブツ言いつつ、テントブーツを履いて外に出てストレッチする。昨夜はオーロラジャケットのダウンだけ着て寝たのだが夜中に寒くなり、アウターもつけた。顔周りのファーが暖かった。冬は自分の呼気に含まれる水分で、寝袋やテントの内壁は凍ってしまうのだが、ファーは凍らずにいてくれるのが嬉しかった。それと、やはり“夜が暗い”ことが嬉しかった。と、いうのも、夏のアラスカに撮影に来ると白夜の影響でいつまでも明るくて、疲れていても“夜”が来ないことに体が対応できずに眠ってくれないことがあるからだ。確かに寒いけれど、装備があればその問題はクリアできるし、冬のアラスカもいいなと思えた瞬間だった。ベーグルを温めて食べて、再び荷造りをし、歩き始めた。

 

 

 

 その日の夜、谷にも尾根にもアプローチできそうな場所にテントを張って、数日の間のベースキャンプにすることにした。夏にはあまり持ち歩けないビーフジャーキーを食べた。まだ大した写真も撮れてないから一切れだけ、と決めたがいくつか食べてしまった。自戒の念も込めて、翌朝は早起きして撮影するぞと思ったのだが、夜半から強風になってしまい、テントが飛ばされないよう補強するために何度も起きることになってしまった。

 

明るくなってからは、谷の中に降りていった。凍りきっていない川に片足が落ちるハピニングなどもあったが、おかげで凍りゆく川の内部までアプローチでき、形容し難い妖しさを撮影できた。しかしこの日は、私を見にきた小さな鳥以外の生き物には出会えず、相変わらずの曇りでオーロラも撮れなかった。

 

 

 

 

 

 別の日、尾根にアプローチしたが、本当に大変だった。大きなスノーシューをつけていても1メートル近く沈んでしまい、雪の中を泳ぐように2時間歩いた後に振り返るとテントがすぐそこに見えた時にはガックリと肩を落としてしまった。得たことは、オーロラパンツにスノーカフスが付いているおかげで雪がブーツ内に侵入してこないこと。それと、膝を大きく高くあげる動作をしても関節の動きを妨げられないこと。これには助けられた。

 

しかしこの日も生き物にもオーロラにも出会えなかった。時折テントの場所を1~2キロ移動しつつ、毎日新たなトライはしてみたが、大した撮れ高は上げられず、ハーそろそろ捨て鉢な気持ちになっちゃうぜと感じ始めていた。1日外を歩いて山のずっと向こうにムースが見えても、そこまでアプローチすることができないのだ。ズームレンズを使えば写すことはできるが、そのような写真はおそらく発表することもない。自分の弱さより、この環境でいつも通り生きられる生き物に対して、あいつらすげえぜと思った。そういえば、ムースは足が長い生き物だなあと思うことが何度もあったが、この深い雪の中でも生きられるように適応したに違いない。

 

 

 拠点にしたテントから、カメラバッグに機材と行動食を詰めて撮影に出るのだが、ある時ひどく背中が痛み、ザックが背負えないことがあった。その時にはオーロラジャケットにたくさんポケット付いていることに助けられた。唯一、お湯の入っているポット(長さ30センチ)だけはうまいこと収納できなかったが、交換レンズ数本、バッテリー、行動食、予備のダウンなど、すべてジャケットに収納できた。装備によって助けられているなと思いながら撮影を続けたが、5日が過ぎ6日が過ぎても相変わらず曇っているし、冬のアラスカに生きる生き物をいまだにまともに撮れていなかった。一度車に戻ってから撮影エリアを変えるか、思い切って一山超えるか迷ったが、全ての荷物を持って山越え出来るかどうかを自分内会議にかけた結果、残りの食材的にも、少しルートを変えて戻る決断に至った。帰りは往路では通らなかった森を一つまたいでいくことにした。

 

 

 

 山脈に入って8日目の朝、暗いうちから幕営を片付け、まずは来た道を20キロほど戻る。すっかり新雪に覆われて、きた時につけた足跡などみる影もない。スケジュールを考えると、できれば今日の深夜かせめて明日のお昼までには車に戻りたい。でも焦っちゃいけない、ゆっくりゆっくり、と言い聞かせたが、体が慣れてきたことと、燃料と食材が減り少し荷物が減ったことで往路より随分と快調に歩き進めた。

 

流線形に雪の積もった閉鎖道路まで戻ってからはフワフワ雪を蹴飛ばすようにラッセルしながら歩いた。14時半ころだったか、一息いれようと体からスリングを外し、伸びをして空を見上げた。厚めの雲のせいもあるが、もう暗くなりつつある。ヘッドライトを余計に使わないよう、まだ光のあるうちに見ておこうと思って地図を広げた。数百メートル前には、スプルースの森が見えていたし、今いる場所からなら、狙いの森にアプローチできそうだった。森に入るとソリは使えないから、ソリからザックを背負う形に切り替えた。ソリは軽いので、ザックに結ぶ。ふわふわの雪の中でもなるべく浅くて固めのところを選びながら、慎重に森の中へと進んだ。

 

 

 森の中に入ると雪が締まっている箇所もあり、木が密になっていないルートが選べれば、視界も悪くなく、想像より歩きやすかった。風が吹くと頭上の枝から雪が落ちてきて首の裏に入るのだけはいただけなかったが。正直なところ肉体的な疲労は感じていたが、ここ一週間歩いてきたエリアとは違う環境に再びテンションが上がったのだろう、ムースとリスの恋の歌を作って歌った。(その日の日記には、最高の歌詞!と自画自賛してあるが、今は思い出せない。)

 

17時頃か、今夜は森を突破せずテントを張るのもありかと思い、周辺にひろい場所があるか目を凝らした。だいぶ暗くなっていたが、雪面が白いおかげでまだスプルースやヤナギの輪郭ははっきりしてるな、と、思った次の瞬間、木々の隙間に見覚えのある色の毛肌が見えた。「あっ」と声が出そうになるのを抑えた。ムースだ。手前にある枝のせいでよく見えないが、どうやら2頭いる。母と子ムースのようだ。まだこちらに気づいていないなら隠れて撮影するか?それとも気づかれた方がいいか?一瞬の逡巡の後、この雪面状況では気づかれずに撮影がこなせないことを悟り、雪に沈んだり這い上がったりしながらも、体を隠すことなく目視してもらいながら徐々に距離を縮めた。その間、母ムースは終始落ち着いていたので、20枚ほど取らせてもらった。その後、2頭は静かに森の奥に消えていった。

 

それにしてもオリンパスのカメラは優秀だ。生き物を撮影できる光量は全く無かったにもかかわらず、さらにマイナス20度以下の中だというのにオートフォーカスもスムーズに作動し、高感度ながらシャープな写真を撮ることが出来た。極寒の世界で生きる彼らの表情を収められたこと、久々に彼らの息遣いを耳にしその瞳を見られたことは、心身を静かに満たしてくれた。高揚感で眠れそうも無いな、そう思って夜通し歩き、深夜4時ころには車に到着した。冬季のアラスカ撮影にささやかな自信を持てたことがただ嬉しく、ゆっくり眠りについた。結局、遠征の中で一番冷えたのは初日の夜のマイナス34度だった。

 

 

 

 アラスカであれ日本であれ、フィールドに出るたび、ヒトはやはり街に生きるいきものだと確信する。なぜなら、街はヒトがヒトのために作った場所で、“暮らし”ていくための環境が整っているからだ。自然淘汰されにくい場所、とも言える。フィールドはというと、街からは遠く離れたよく知らない場所で、おいそれと暮らして行ける場所では無い。まして我々ヒトは、雨風を避ける場所が必要で、服を着ないと凍えるし、ほとんどの食材は調理せずには食べられない生き物だ。私もフィールドでは何度も自分の生き物としての弱さを痛感してきたのだが、その経験から一つ解ったことがある。

 

それは、“暮らす” ことと “生きる”ことは違う、ということだ。フィールドに出れば、いつも通りに “暮らす”ことはかなり難しくなる。が “生きる”ことの真髄を体感することがあるように思う。それはつまるところ、自分にとって本当に必要なものや大切なものの原点が見えるとも言えるだろう。決してエクストリームな挑戦をする必要はないし、そんな遠くに行かなくたっていい。しかし日常と違う環境で過ごすことは、私たちに原点に触れさせてくれる大切な機会だと思う。そして、良質な装備が揃っている今は良い時代だ。どこに行くにも、装備が環境を整えてくれる。「オーロラは一生に一度は見てみたい」これはよく耳にするフレーズで「そんなに難しいことではないですよ」と返すのだが、これからはその語尾に「オーロラジャケットなんてのもありますし」と言えることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

写真家

佐藤 大史 | Daishi Sato

 

1985年生まれ。長野県安曇野市在住。日本大学芸術学部写真学科卒業後、写真家白川義員の助手を務め、2013年独立。「地球を感じてもらう」ことをコンセプトに、主にアラスカなどの手つかずの大自然を舞台に撮影している。2020年に初の作品集『Belong』(信濃毎日新聞社)を出版。
<WEBサイト> Daishi Sato Official Site